2022年3月28日(日)に第105回の中国語検定試験が実施されました。
日本全国、多くの地域で曇または晴れの天気となり、受験会場へ向かうには良い天気だったのではないでしょうか。
受験された方はTwitterなどで近況をたくさん報告されていますね。
本当にお疲れさまでした。
早速ですが、中国語検定3級の第4問を解いてみました。
まずは、問題を一通り見て考えてみてください。解答・解説は、後半に掲載します。
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なお、別の受験回で勉強したい方は、中検3級の過去問一覧をご覧ください。
まずは、問(6)の選択肢を読むことで、これから読む長文の内容をある程度理解できるので、内容一致文を先に読むのは良い方法です。
⑹ 本文の内容と一致するものはどれか。
① 便利店“罗森”的名字来自于历史人物。
② 罗森从香港跟随佩里舰队去过两次日本。
③ 日方官员是通过写汉字来跟罗森交流的。
④ 佩里让一个懂日语的美国传教士做翻译。
中検3級 第105回 第4問 問題編
4 次の文章を読み,⑴~⑹の問いの答えとして最も適当なものを,①~④の中から 1 つ選びなさい。
说起“罗森”,大家都会想 ⑴ 便利店,很少有人知道近代史上有一个叫罗森的中国人,他直接参与 1854 年的《日美和亲条约》谈判,见证了“日本开国”,在日中文化交流史上留下了一段佳话。
罗森是广东人,出生于书香世家。他 ⑵ 精通古典, ⑵ 擅长书法,还会说英语。他在香港当老师,长期教外国人学汉语。1853 年,佩里率美国舰队来香港,又从香港出发到日本。同年 7 月 8 日,美国舰队出现在东京湾,日本史称“黑船来航”。当时佩里用荷兰语跟日方交流,觉得交流很困难, ⑶ 第二年去日本签订条约的时候,佩里带了两个懂英语和汉语的翻译,一个是美国传教士,另一个就是罗森。
罗森不懂日语,他 ⑷ 英语翻译成文言文,日语叫“汉文”。那时候的日方官员大都精通“汉文”,不仅能看懂,而且还会写,能用汉字准确 ⑸ 表达意思。这种日中两国文人的特殊交流形式叫“笔谈”,罗森就是日中近代“笔谈”的先驱。日本驻华大使高度赞扬罗森:“黑船打开了日本近代化之门,罗森从中起到了重要作用。”
⑴ 空欄⑴を埋めるのに適当なものはどれか。
① 来
② 过
③ 出
④ 到
⑵ 2 か所の空欄⑵を埋めるのに適当なものはどれか。
① 既…又…
② 越…越…
③ 先…再…
④ 一…就…
⑶ 空欄⑶を埋めるのに適当なものはどれか。
① 因为
② 所以
③ 但是
④ 如果
⑷ 空欄⑷を埋めるのに適当なものはどれか。
① 对
② 让
③ 把
④ 给
⑸ 空欄⑸を埋めるのに適当なものはどれか。
① 的
② 地
③ 得
④ 着
⑹ 本文の内容と一致するものはどれか。
① 便利店“罗森”的名字来自于历史人物。
② 罗森从香港跟随佩里舰队去过两次日本。
③ 日方官员是通过写汉字来跟罗森交流的。
④ 佩里让一个懂日语的美国传教士做翻译。
中検3級 第105回 第4問 本文日本語訳・解説
では、ここからは文章を抜き出しながら翻訳してみます。
穴埋め問題は、途中で穴埋めしながら日本語訳しておきます。
说起“罗森”,大家都会想 ⑴ 到 便利店,很少有人知道近代史上有一个叫罗森的中国人,他直接参与 1854 年的《日美和亲条约》谈判,见证了“日本开国”,在日中文化交流史上留下了一段佳话。
【単語】罗森:Luósēn. <コンビニ>ローソン
见证:jiànzhèng「(目撃者として)証言をする,証人になる」
佳话:jiāhuà 「美談,立派な話」
想到:「思い出す」
(例)说起日本,就会想到富士山。
「日本といえば、富士山を思い出す(富士山と言うイメージを思い浮かべる)。」
※問題(1)は”想到”の”到”が正解です。
(日本語訳)
ローソンと言えば、みんなコンビニを思い出す。ローソンと呼ばれたある中国人がいることを知る人は少ないだろう。彼は1854年の《日米安全保障条約》の交渉に直接参加した。日本建国の証であり、日中間の文化交流の美談である。
罗森是广东人,出生于书香世家。他 ⑵ 既 精通古典, ⑵ 又擅长书法,还会说英语。他在香港当老师,长期教外国人学汉语。
【単語】书香世家:Shūxiāng shìjiā「学者の家庭」
精通古典:「古典に精通している」
擅长书法:「書道が得意」
(日本語訳)
ローソンは、広東人で、学者の家庭に生まれました。彼は古典に精通しており、書道も得意であり、さらに英語を話すことができる。彼は香港で先生になり、長い間、中国語を学ぶ外国人を教えた。
1853 年,佩里率美国舰队来香港,又从香港出发到日本。同年 7 月 8 日,美国舰队出现在东京湾,日本史称“黑船来航”。
【単語】佩里:pèi lǐ「ペリー」
(日本語訳)
1853年、ペリーがアメリカ艦隊を率いて香港に来て、さらにまた、香港から日本へ出発した。同年7月8日、アメリカ艦隊は東京湾に現れた。日本史では『黒船来航』と呼ばれている。
当时佩里用荷兰语跟日方交流,觉得交流很困难, ⑶ 所以第二年去日本签订条约的时候,佩里带了两个懂英语和汉语的翻译,一个是美国传教士,另一个就是罗森。
【単語】
荷兰语:hélán yǔ「オランダ語」
传教士:chuánjiào shì「宣教師、布教師」
(日本語訳)
当時、ペリーはオランダ語を使って日本と交流していたが、交流がとても困難に思った、それで、2年目の日本签订条约のときに、ペリーは英語と中国語の通訳ができる2名を引き連れてきた。一人はアメリカの宣教師で、もう一人がローソンである。
(日本語訳)
ローソンは日本語がわからなかった。彼は英語を文語文に翻訳し、日本語では”漢文”と呼んだ。
那时候的日方官员大都精通“汉文”,不仅能看懂,而且还会写,能用汉字准确 ⑸ 地表达意思。这种日中两国文人的特殊交流形式叫“笔谈”,罗森就是日中近代“笔谈”的先驱。日本驻华大使高度赞扬罗森:“黑船打开了日本近代化之门,罗森从中起到了重要作用。”
【単語】日方官员:rì fāng guānyuán「日本の役人」
赞扬:zànyáng「ほめたたえる、賞賛する」
从中:cóngzhōng「両者の間にたって」
(日本語訳)
その当時の日本の役人はみんな「漢文」に精通していた。読めるだけでなく、更に書くこともでき、漢字を使って正確に意思疎通もできた。このような日中両国の特殊な交流形式は「筆談」と呼ばれた。ローソンは日中近代「筆談」の先駆者である。駐中国日本大使はローソンを高く評価し「黒船が日本近代化の扉を開き、両者の間にたって重要な役割を果たした。
中検3級 第105回 第4問 解説編
⑹ 本文の内容と一致するものはどれか。
① 便利店“罗森”的名字来自于历史人物。
「コンビニのローソンの名前の由来は歴史上の人物からである」
☛このようなことは書かれていないので内容は一致しません。
② 罗森从香港跟随佩里舰队去过两次日本。
「ローソンは香港からペリー艦隊を引き連れて、2度日本に行った。」
☛ペリーは2度日本へ行ったのですが、ローソンは1回です。よって、内容は一致しません。
③ 日方官员是通过写汉字来跟罗森交流的。
「日本の役人は、漢字を書くことを通して、ローソンと交流した。」
☛ローソンは英語を文語文に翻訳し、日本語では”漢文”と呼んだ。と書かれています。
つまり、”漢字”を使って交流していたので内容が一致します。
④ 佩里让一个懂日语的美国传教士做翻译。
「ペリーは日本語のわかるアメリカ人宣教師に通訳させた。」
☛引き連れてきたのは英語と中国語のわかる2名なので、日本語はわかりません。よって、不一致。
【正解】③ 日方官员是通过写汉字来跟罗森交流的。
今回の長文問題は中検3級レベルとしては難しい単語(名前や条約名など)が出てきて、難しい印象を受けました。しかし、日本史の好きな方にとっては、人物名が分かればすぐに理解できた内容なのかもしれません。
長文問題では、その物語を知っているかどうかで大きなアドバンテージが発生すると思うので、中国語の勉強だけではなく、幅広い分野に興味を持ってアンテナを張っていると、意外な場面で役立つこともありそうですね。
では、最後に、答えをまとめておきます。
番号 | 正解 |
---|---|
(1) | 4 |
(2) | 1 |
(3) | 2 |
(4) | 3 |
(5) | 2 |
(6) | 3 |
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